平成の大晦日 美智子さまの物語を観て・・・
(出典:デイリー新潮)
平成31年4月30日 平成の大晦日。
FNN報道スペシャル 平成の大晦日 令和につなぐテレビで、美智子さまがこれまで歩まれてきた道のりがドラマ仕立てで放送されていて、見入ってしまいました。
人として、同じ女性として、本当に魅力的な方だと改めて思いました。
そして、美智子さまという女性の生き方には、ただただ感動するばかりです。
敗戦後、象徴天皇制となった中、初めての民間から選ばれたプリンセスとして、想像も及ばないような責務の中、ご自身の信念を持ち続け、陛下を、子供たちを、そして困難に苦しんでいる人々を深い愛情で慈しみ続けてくださった美智子さま。
そんな美智子さまの「お気持ち」が綴られた貴重な資料をもとに、東宮女官長の目線からドラマが作られていました。
美智子さまが、陛下との結婚を決意したのは、天皇家では幼少期に親元から離れて暮らす慣習であったために、陛下も3歳で親元を離れ、家庭というものを知らないで育ってきたという事を知り・・・
美智子さまはこうおっしゃっています。
「家庭を持つまでは絶対死んではいけないと思った。」と、お話し下さった時、私はいままでの自分の見分の中にも、読みました小説の中にも、このように寂しい言葉はなかったと思いました。そしてその中を25年間お歩みになっていらした東宮さまのおために、力をつくして、あたたかい家庭をお作りしたいと思いました。
美智子さまは、この時の決意の通り、皇室の慣習を打ち破り、一般家庭と同じ環境作りに奮闘されたのです。
① 母乳で子育て
天皇家では、母親と別の女性が授乳する「乳人(めのと)制度」が続いていたが、美智子さまは、ご自分の母乳で育てました。
② 家族で同居
天皇家では幼少期から親元を離れて暮らす慣習がありましたが、これを見直し、両陛下の元で3人のお子様を育てました。
また、御所には台所も作り、美智子さま自ら調理し、お弁当もほぼ手作りだったそうです。
陛下はじめ、3人のお子様は、美智子さまの深い愛情を受け、お暮しになってきたのだと思います。
逆に美智子さまは、今までの慣習にとらわれない、民間出身のプリンセスとして、どれだけ辛いお立場だったことか・・・
それでも、陛下にあたたかい家庭を・・・という信念を曲げることなく、全力で公務にも子育てにもあたる美智子さまに、東宮女官長はじめ、周りにいる人たちから、次第に認められ、信頼されるようになっていったのです。
美智子さまが、ご成婚直前に書かれた文書の最後に、
「私が愛し信用していただける日がきますように。」と綴られています。
陛下の、そして美智子さまの、穏やかな慈愛に満ちたお顔を見ていると、本当に30年もの間、国民に寄り添い、尽くしてきてくださった温かさと強さを感じます。
その大きなお役目も終わり、肩の荷も少しは降りたのではないでしょうか。
これから先は、陛下とおふたり、お好きなことをして穏やかに楽しく過ごしていただきたいと思います。
新天皇は、美智子さまの深い愛情を受けて育ったかたです。
雅子さまとともに、平和であたたかな時代の象徴となってくださることを信じています。