「諦める」ことの本当の意味を知った50代。これからは楽に生きよう♪
「諦める」とは
「あきらめる」
普段何気なく使っている「あきらめる」という言葉。
希望や見込みがないからやめる、断念する、ギブアップするというマイナスイメージの言葉として使うことが多いですね。
でも本来は仏教では「諦める」=「諦観」と書き、「あきらかにみる」が元になっているそうです。
その「あきらかにみる」が「諦める」になったとのこと。
あきらかにみるとは
ではこの「あきらかにみる」とはどういう事なのか?
これは「真理をあきらかにみる」ということで「因果の道理をあきらかにみる」ということです。
何か悪い状態になったとき、自分がこんな状態になったのはどこに原因があったのか?
① 今の現状をみる。
② 受け入れる。
③ 対策を立てる。
④ 実行する。
少しづつではありますが、私も50代半ばになって、ようやく本当の意味で「あきらめる」ことが出来るようになったと感じています。
諦められなかった50代以前
以前の私、特に30代~40代にかけては、いろいろな事にドタバタジタバタしていたように思います。
夫と離婚して、別の人生を考えていたのもそのひとつ。
バブル期の肩パットのように、がちがちに力を入れて生きてきた気もします。
自分にとって不都合な事にたいして、受け入れる→対策を立てる→行動するってことが全く出来ずに、ただやみくもに足掻いていたような・・・
いつの間にか「諦める」ことが出来るようになった50代
一番難しいのは「受け入れる」という事だと思っています。
しっかりと物事を見極めて、受け入れること。
あー、今、自分はこんな状況にいるな~と。
ある人からみれば、それは酷い状況かもしれない。
別のあるひとから見たら、うらやましい状況に見えるかもしれない。
どちらでもない。
良くも悪くもない。
ただ、自分の状況を認識して受け入れるだけ。
そして、今の自分に出来る対策を立て、それを実行する。
な~んて書いてみましたが、やっぱり落ち込んだり、くじけたりすることはこの先もあると思います(^-^;
それでもやっぱり、以前に比べると、断然力が抜けて生きやすくなったのは確か!
私が50代になって、やっと少~し悟った「諦める」という事。
子供たちは何となくすでに悟っているように感じます。
何かにつけ、励ましてくれたり、アドバイスをくれたり、諭されたり・・・
ゆとり世代、さとり世代の子供たちってこうなのかしら・・・?